月曜日から断食中。

3日断食+3日は回復食と言って胃に負担をかけないような食事をする、合わせて6日間。

 

 

一番食欲に負けそうだなぁと思ったのは食事の支度。

自分は食べないのに旦那の食事を作る作業、耐えられるかなと思って。

 

 

結果は   大丈夫だった。

 

 

ひとつ困ったことは味見が出来ないこと。

 

その日の体調によって必要な塩加減は違うと思っている&大雑把な性格なので調味料は計らず味見は必須。

当たり前にしてた動作、無くなってみるとすごく違和感~

 

そしてもうひとつ感じたことは

 

 

 

 

②無私の心で捧げるように 相手の為に心を込めて行いをすること

 

 

いつもは自分も食べていた食事を相手の為だけに作る。

 

今までは自分と相手の両方の為だったけど、今回初めて純粋に相手の事だけを想って作った。

 

作っている間に考えたことは、相手にとって良い食事になりますように。健康を担う一部になりますように。ということ。

 

そうすると、食材を切ることも炊いたご飯を混ぜるときも、ひとつひとつの行動が心の内側が愛にあふれてる。幸せな気持ちがふつふつと湧き上がってきた。

 

今まで料理していてそんな事感じたことはなかったのですね・・お恥ずかしながら・・・

 

 

 

 

ヨガの教えは全て、人生をより平和にしあわせに過ごす為にある。

その中のひとつ。

 

 

 

行動を自分の為、欲の為、ではなくて

相手の為、さらには生きとし生けるものを支えてくれているシステム(地球だったり宇宙だったりイーシュワラという)に捧げるように行うというもの。

 

自分の為!自分の物!自分のせい!と自分エゴに振り回されて生きると生きづらいもんね。(五感に振り回されることも同じ)

 

 

 

そしてその行動によって起こる結果は自分で選ぶことができないことを知ること。

 

 

例えば「美味しい!」って言われることを期待して、結果を予想妄想して作ったとする。

 

けれど相手の大好物がどんなに上手にできたとしても、「美味しい!」と言われる可能性は100%じゃない。

 

もしかしたら調子悪くて食べられないかもしれないし、運ぶまでにこぼしちゃうかもしれないし、いきなり知人が訪ねてきて外食になるかもしれないし(やだーもったいない)、もしかしたら泣いて喜んでくれるかもしれない。

結果は分からない。

 

その自分でコントロールできない「結果」というものに毎回自分の責任感じてたらまたもやアップ↑ダウン↓激しくて疲れちゃう。

 

 

いつ何が起きるかなんで分からない、結果をコントロールすることはできない。

でもわたしたちは行為を大切に扱うことはいつでもできる!

もてる限りの能力と最善を尽くして行動することはできる。

 

その大切に行ったことの結果が予想と違っても、それは私の責任じゃない。

だから自分を責めずに、代わりに自分が成長する為にこの結果になったんだと思って有難く受け取る。

 

 

 

相手の為に無私の心で感謝を込めてする行いは心が平和で穏やかだ。

(相手の為にしたことでも、自分が感謝されたいから、とかが入ると無私じゃなくなるね)

相手のころを想ってしたことなのに、巡り巡って実は一番自分自身を平和にしている。すごいねー!

 

 

 

いつか自分エゴを越えて、本当の意味で成熟した大人になれるように丁寧にヨガの教えを生きるのです。

 

 

 

 

はい。

それを踏まえた上で今回の私の料理の結果はですね

 

味見無しの料理は薄かったりしょっぱかったりしたようで・・・

 

心を込めたのに「美味しい」と言ってもらえなかったので、私はイラッとしたのでした!(笑)

さらに美味しいって言ってよー!とコメントを強要したよ!!!(笑)

全然有難く受け取ってないよ~

 

作ったときはね!優しい気持ちだったからさ~オッケーってことにする😊はは

自転車で海の近くを通った時に見つけた花。夏の朝日浴びて元気いっぱい!!

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