太陽の光と水(ガラスの瓶に入った枇杷のエキス)
光の反射が美しすぎて!すごくきれいな瞬間だったよ。
先日友人と電話をした時こんな話になって。
何っていうとね、『自己肯定感の低さは意図しない悲しみを連鎖させる』んじゃないかって話。
相手の優しさを上手く受け取れない。相手に感謝や想いを捧げることに不器用。
これって全部自己肯定感の低さの現れだよねって話をした。
例えば誰かが手を差し伸べてくれたり、心を開いてくれても「私なんかにそんな価値はない」というセンサーが働いてしまう。
ただの社交辞令かも・・・とか、気を使って言ってくれてるだけだ・・・とか何らかの理由を発動して「価値のない私」を何が何でも演じようとする。
例えば、逆に、自分が誰かと心通わせたかったとしても、「価値のない私」が前提だから相手に自分の言葉や存在を素直に捧げられない。
だって価値無いと思ってるものを進んで人にあげようと思わないもんね。
(でもそれは間違いで本当のあなたは100%素晴らしさでしかない!とヨガはちゃんと教えてくれるよ)
「自分なんて・・・」のガードは、外から見ると「あなたに興味ない・入ってこないで」と拒否されてるように見えることもある。だから心を寄せてくれた相手も傷つく。どちらも傷つく。だから『自己肯定感の低さは意図しない悲しみを連鎖させる』とおもう。
あ、この話はこれまでの色々な私自身の話ですよ・・・恥
でさ、わたしも、あなたも、あの子も本当はみんな素晴らしいのに、無価値だと信じちゃってるときにどうしたらいいのか。
私は、どんな状況だとしても自分自身を受け入れて寄り添ってあげることが一番だと思ってる。
まるで優しい母親のように、ただ起こったことを同じ目線で見て、共感して、そっと背中を押してくれるような。
自分を厳しく否定しそうになったら、「大丈夫だよ」「いつも傍にいるよ」を自分が自分にいってあげる。
そうすると。。。「価値のない私」はいつもまにか小さくなってリラックスしたありのままの私が姿を現す。
そしたらやっと、ありのままの自分を受け取れて、リラックスして相手に愛や優しさを捧げられるんじゃないかな。
だからまずは、今のあなたがどんな状態なのか
心地良いのか、周りの視線に緊張して無理に演じているのか、笑いたいのか、泣きたいのか聞いてあげて
その感じたことにただ寄り添ってあげる
ヨガの練習は、できない自分を恥じる場でも無く、理想のポーズに向けてあなたを酷使するでもなく
心地よくリラックスできて、頑張りたいときは時にはちゃんと力をくれる、マットの上で行う作業がそんな自分が自分に寄り添うための練習のだといいなと思う。
まほろばここなる 素晴らしさはいつもでもあなたと共にある