本当はなーんにも制限なんてないのに、縛りを作っていたのは自分でした。

って日記。

大人になるにつれ人が怖く、自分の本心を隠すようになって、自分が何を考えているのか

今考えていることが本心なのか、常識なのか、人の目を意識した言葉なのか、自分でも全く分からなくて、心の話し方が分からなくなった。

最終的には重い黒い暗い息のできない感じの日が続いた。

でもね、ヨガの教えに触れたら、そこには道しるべと答えが全部詰まっていた。

しばらくして、もう進んでも大丈夫だなと思ったから、奥に鎮座してる奴等を探しに行こう!と思って、向き合うことを決めた。

それは心のブレーキだったり、トラウマだったり、インナーチャイルドだったり、ペインボディだったり、サムスカーラだったり、色んな言い方があると思うんだけど。

でも心の奥では見たくないと思ってるから、まー喚き散らしたり泣叫んだり特にこの一年半は大変だった。

それがここ数カ月同じ感情の強い苦しい痛みが出ることがあって、しかも懐かしい痛みで、何に似ているんだろう?って観察したら

昔の大失恋の時と同じ痛みだったの。

今失恋したわけでもないのになぜだ?と思ってたら、ハッと気づいた。

これは自分の本当の欲求を自分自身が抑えつけたことで痛いんだ、って。

昔も、別れたことが一番悲しかったんじゃなかった。

オーストラリアに住むという夢に見た世界にいたのに、直感の思うままに進まずに、本当の欲求を無理やり抑えつけた事が悲しかったんだ。

直感のまま進んだら、それまでの生活は変わってしまうのが怖くて

でも戻ってこない大切な時間を思うと耐えられなくて、強烈な感情を持ったんだと気づいた。

さらにはそんな言い訳だらけの卑怯な自分を見ないように、失恋の悲劇のヒロインという蓋まで作って鍵かけるというご丁寧な締め作業付き。

なんてこったい。

それに気づいたら、他のことも先生たちが言っていたように芋づる式で

例えば

普段の行動の裏には人に嫌われたくないという感情があって

でもその奥は、自分の事をみんなに好かれて当たり前の人気者ともちゃんだと思ってるから、昔あった不特定多数に嫌われていた出来事みたく、自分で作ったイメージを守れない事が起こると、恥ずかしくてカッコ悪い思いするから、見たくなくて見られたくなくて蓋をする!!

とか。

SNSしたいなって気持ちがあってもずーっと二の足踏んでてできなくて、

その裏には実は自分は人に影響を与える人間、反応されて当たり前だと心の底では思っているから、人に反応してもらえないという事実を知りたくないからブログとかHPとかが怖くてできない

とか。

ほかにもいっぱい~!

うわっ自分かっこ悪!恥ずっ!!と思ったけど

その【自分は~だ、というイメージ】すらも、もっと小さい事にあった出来事から自分を守るためにできた存在だった。

制限=悪だと思ってたけど、本当は心を守ろうとしてくれたもっと優しいものだったみたい。

そんな風に心の探検していたら、色んなことは自分が作り上げた只のイメージでしかなくて、制限を作ったもの自分自身。

本当は自分は何者でもない

気付いたらもうその制限(守り)はいらないね。

本当はもっと好きなように、自由に、心地良いように、直感信じて進めばいいんだ、大丈夫!!

なにより楽ちん!

そんな風に過ごせるようになってきた。

ちなみにkatieは昔の職場でのあだ名です笑

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