ポジティブで行動的と周りから言われますが、中身はとってもグルグル繊細考え野郎な松浦です。

 

身体のヨガだけでなく、考え方や生き方としてヨーガを学びはじめてから

そんなグルグル思考人間がとてもシンプルに物事を感じられるようになってきました。

 

そんな毎日で感じたこと、忘れないようにメモです( ..)φ

 

 

 

考え方の癖っていたるところにあって、当たり前だと思っていたことがただの個人的な考え癖だった!と気づくことがある。

その考え癖を手放すと、毎日が軽いなぁって話です。

 

 

【こう思われたいの限界値】

 

何か進みたい方向があって、その為には今持っている何かを手放さなければならないことがある。

それは長年お世話になったことだったり、ずっと大事にしていて思い入れがあるものだったり様々。

 

その離れる時に「全てを平和に収めたい」的な考えが今まではあったのだけど、最近は「全てを平和に収めたい!」だなんて

それこそ自分ですべてをコントロールできるという傲慢さだなと気づいた。

 

例えば精一杯言葉を選んで相手に伝えたとしても、相手は全く違う意味に受け取ってしまうこともある。

今までは「自分の伝える能力が足りないせいだ」とか「配慮が足りなかったんだ」とか「もっとこうできたら・・・」

なんてずっと思い悩んだけれど

どんなに言葉や状況を選んでも相手には相手の思考回路があって、自分には自分の思考回路があるんだということがやっと腑に落ちた。

これは悪い意味ではなくて、育ってきた環境が違うから~♪というセロリ的なただの当たり前の事実。(SMAP草薙君の曲だよ)

 

 

 

そう思うと以前は「頑張れば出来るはず」と思っていた「相手に真意を100%理解してもらう」ことはかなり奇跡的なことをしようとしていたんだなと思う。

もちろん、出来るだけそうあろうと行動は丁寧に選ぶ。けれど結果まではコントロールできない。神のみぞ知る。

 

 

そう思ったら悩む時間とエネルギーが減って、その分頭がスッキリした。

その時間とエネルギーは本来やりたかったことに使えるように。

 

 

そして「全てを平和に収めたい」の考えの裏には自分が「いい人に見られたい」「ひどい奴だと思われたくない」という心理があることも実感。あんまり見たくない自分の部分だけど、直視してみたら案外その弱さも可愛いものである。

「こう思われたい」という要ははただの傷つくことから自分を守りたい欲求ちゃん。

 

今回その「ひどいやつだと思われたくないという、周りの人からどう思われるかの気持ち」自分を守ってくれた欲求ちゃんは、いまは必要ないなーと思えたら

物事の感じ方がとてもシンプルになった。

 

 

周りの人の評価で決まる自分っていうのは限界ある。

大事なことは、誰にどう思われるかじゃなくて自分自身が自分に素直にいれる事。

 

あのひとにこう思われたら嫌だな、じゃなくて

自分の中にある相手への感謝やベストだなと思ったことを素直に行動に移せたのかどうか。

 

他人からどう思われるかではなく、自分が自分に誇れるような選択と行動が出来たかを基準にする方が

より生き生きと生きていけると実感したよ。

 

意識する練習中

●行動をするときに自分の心にやましい気持ちがないか、またその心を隠したり無かったことにしていないか

●今の自分にとって出来る限り最善だと思う方を選べたのかどうか

●今の自分に出来る限り、周りの人のことを大切に思う気持ちをもって行動できたか

●誰かにこう思われたいという気持ちが混じっていないか。混じっているとしたら一度言葉にして直視してみる。

●感謝を伝える練習中

 

 

二兎追うものは一兎も得ずの言葉が身に沁みました。

人の目と自分の内側の目。信じる道を進むため求めるうさぎは明確だ!

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

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